出発点

ここらで私は告白をしなければならない。


かつて私が「文学者」であったとき、私は苦しみの淵にいた。
それゆえ私は記号で、私自身を埋め尽くそうとした。
それはあまりに無自覚に。
結果、私は記号の怪物となった。
苦しみは軽減されたが、私はますます希薄になった。


かつて私が「子供」であったとき、私はキリストになろうとした。
私は私自身のなかに、救いを見出そうとした。
それは皆も同じであった。皆も私のなかに救いを見出そうとした。
結果、善意はやがて打算へと変わってしまった。
そのとき初めて、キリストと自分との落差を知った。


その10年後。
私が「青年」であったとき、私は世界の真理を知った気でいた。
真理とは、深海の奥深い闇の底にあった。
シオラン。私は嘔吐した。
それからは私は考えることから遠ざかった。


その5年前。
私がまだ「家庭」のなかにあったとき、私の人格は崩壊した。
私の頭は真っ白になり、あとは鈍い耳鳴りだけが続いた。
漠然とした不安を抱えながら、あのときの私はただ眠ることだけに救いを求めた。


その少しあと、私は初めて記号の操り方を覚えた。
やはりそれも無自覚に。
記号に自己を投影することだけに、ただ夢中になっていた。
あのときの私は、何者にもなりかわれた。
私以外の誰かに。


その10年後。
私は万能感に満たされていた。
私は「有用」な人間となっていた。
あらゆる人の話を聞き、あらゆる人に言葉を託した。
しかし、いつも自分自身の限界をどこかで感じ取っていた。


あれは私にとっては「神話」時代であった。
夜明け前の海岸で、私は私自身を見た。
それは透明のフィルムが二重写しになっているかのように、
深夜の海岸のなかに真昼の海岸が併存していた。
そこで私は幼い頃の私自身の姿をみた。
嘔吐。眩暈。
このとき何者かが私から現実感を奪い取ってしまった。
それ以降、私は遠くから私自身を眺めるようになった。


告白、そして出発点。
希望を持つふりはもうやめにしよう。
私の欲求はいつも変わらなかった。
どんなときでも、私の欲求の根底には「無」があった。
自己をどこまでも消失すること。
記号に自己を没入させることも、他者に自己を没入させることも、
私の「死」へのあこがれへの変形であったのだろう。


これからの私は、死へ向かうことだけに生を捧げよう。