結婚とは何か

結婚とはなにか。


それは、生物学的に考えれば種の保存への欲求の結果であり、
歴史的に考えれば家産の要請の結果がであり、社会学的に
考えればその制度化の結果である。しかし、それだけのだろうか?


恋愛について考えてみたい。恋愛の本質とは、すなわち体内
への回帰願望ではないだろうか?恋人を抱きしめるとき、
そこにある欲求は「内部へと入り込もうとする欲求」である。
我々は、母の胎内を出たときからずっと孤独なのだ。


それでは結婚とはそうした恋愛のその制度化にすぎないの
だろうか?いや、結婚もその欲求の直接の結果なのかも
しれない。母の胎内から生まれでたときの恐怖、全体性の
喪失を埋め合わせるために、恋愛によってそれを解消しよう
とした。しかし、それが不可能であると気付くと、今度は
「擬似的な全体性」をこの世界に築こうとする。
それこそが結婚なのではないだろうか?


妻に、子に囲まれて、制度に保障されて、私は孤独ではないと
絶えず安心して確認する機会。結婚は、目に見えて、肌で感じ
られる「擬似的な全体性」を演出してくれる。


しかし、それが果たして最善のそして唯一の方法だったのだろうか?
擬似的な共同体は、それが小さければ小さいほど、外部に対して
攻撃性を発揮してきたのではないだろうか?この全体性を失わせ
ないために。家族から、そして国家まで。その鬼子がナチズムである。


それでは発想を変えてみればどうだろうか?すなわち、我々は母の
胎内から生まれ出た。しかし、それは孤独なのではなく、さらに
広大な「地球」という新しい母親の胎内に住まう機会を与えられた
のだと。地球規模での全体性。


誇大妄想的な考え方。しかし、少しは孤独が癒される。
しかし、それは目に見えて、感じられるものでないぶん、それだけ
充足感は薄められる。擬似のまた擬似なのである。我々は「眼に見えて、
感じられる」充足感が欲しいのだ。それはエゴイスティックに。
そしてそのエゴこそが人間の限界なのだ。


結婚とは、人間の孤独な生い立ちの表象であろう。